【内痔核の分類 Goligher分類】
内痔核の話を続けます。
よく、学問とは、「分類すること」だといわれたりします。
内痔核にも分類があるのです。(お尻だって立派な学問ですからね。)
内痔核の代表的な分類は、英国の外科医にちなんで名づけられたGoligher分類です。ゴリガー分類と読みます。途中に、hの文字が入るのですが、時々、間違ってhを落として書いてしまう人がいますから、気をつけてください。(時々、専門家である肛門科の先生の発表を見てもhの字が抜けている方がいます。こんな事でも、簡単に学問のレベルが疑われてしまいますから、注意してくださいね。)
Goligher分類を説明します。
Goligher分類 1度:内痔核は、肛門鏡で観察すると,腫脹しているのがわかるが、排便時でも、脱出することはない。
Goligher分類 2度:排便のときだけ、内痔核は脱出するが、自然に戻る。
Goligher分類 3度:排便のとき、内痔核は脱出し、自然には戻らないが、手で戻すことができる。
Goligher分類 4度:常に脱出しており、手で戻すこともできない。
というものです。
ものすごく、簡単ですね。Very simple!
要するに、内痔核の脱出の度合いを段階的に分類しただけのものです。小学生でもわかるものですね。
こんなものを、仰々しく、たまにはスペルを間違いかねない、聞きなれない外科医の名前をつけて、Goligher分類なんて呼んでいる、大腸肛門病学は、権威主義的過ぎますか。ところが、そうともいえないのですね。
さて、そもそも、病気の分類って、何のためにあると思いますか。
テストに出して、君たちの進級の可否を判断するためのものですか。これは違いますね。でも、分類ばかり勉強させられていると、つい、分類は、試験に出すために作っているのではないかと思いたくなりますね。
確かに、時々、論文を書くために作ったのではないかと勘ぐりたくなるような分類に出会うことがあります。こういうものは、「分類のための分類」と呼ばれて軽蔑されたりもします。
でも、本当の分類とは、そういうものではないのですね。特に、医学では、そうであってはいけないのですね。では、どうでなければいけないか、それは後で説明しますね。
それから、とても頭のよい人が作ったのだろうなぁと、感心させられるような分類に出会うこともありますね。「よく、考えついたなぁ」と、感心させられた後で、「でも、こんなのがテストに出たら、記憶力の乏しい僕には、一夜漬けで何とかその場をしのげるかなぁ」と悩まされそうなことありますよね。でも、これは、よい分類とはいえないのですね。すごい分類とはいえても、良い分類とはいえないのですね。
進級できないからではないですよ。覚えるのが大変な分類は、結局、試験には出てたとしても、誰も日常の臨床で使うことはない分類なのですね。
医学とは、特別な研究室で行なわれるものではなく、基本的には、医者一人、看護婦一人、患者一人の小さな診察室で行なわれるものなのですね。それが、地域医療というもので、基本的に医学は、すべて、地域医療なのですね。だから、普通のお医者さんが、簡単に使えるものでなければ、良い分類とはいえないのです。
実は、もともとGoligher分類は、4つに分類されているものではなく、3つに分類されていました。
勿論、それはGoligher分類という名前ではありません。結局は、この分類によっては、名前を残せなかったといっていいドクターが作った以下の分類です。見比べてください。しかし、それ以外の仕事で、名前を残しているのですけれどもね。
分類 1度:内痔核は、肛門鏡で観察すると,腫脹しているのがわかるが、排便時でも、脱出することはない。
分類 2度:排便のときだけ、内痔核は脱出するが、自然に戻る。
分類 3度:排便のとき、内痔核は脱出し、自然には戻らない。
と、いうものです。これも、すごく簡単ですよね。
でも、この分類を、さらに、「完成」させて、Goligher先生は、今のGoligher分類にしたのです。つまり、分類 3度が、自然には戻らないけれども手で押せば戻る、という段階と、手で押してもけしてもどらない、という2つに分けられて、全体で4つに分類されたのです。これが、Goligher分類。
さすがですね。もう一息、最初の外科医が、こんな簡単なものを加えて最初から4つに分類していれば、後世に名を残せたのに、残念でしたね。歴史に名を残すかどうかは、こんなところに差があるのでしょうかね。
でも、Goligherさんは、本当に偉かったのでしょうか。もちろん、偉大な、大腸肛門外科医でした。しかし、この分類に関しては、どうだったのでしょうか。
検証します。
実は、Goligherさんは、この分類に関しては、「学者」をしてしまったのですね。無意味な分類をしてしまった、といえるとわたしは考えています。
私は、名前をのこすことのできなかった、何とか先生のほうが、この点に関して、すぐれた臨床家だったと考えています。
なぜかというと、分類3と分類4は無意味な分類だったからです。確かに、飛び出た痔核が、手で戻るか手で戻らないかで、明確に2つに分けることのできる、「異なる2つのカテゴリー」です。
しかし、それが何を意味するのでしょうか。実は、何も意味しないのですね。
実は、分類3度でも4度でも、治療法は、手術で、同じなのです。3度と4度とが、治療の適応も、治療法も同じなら、なぜ、臨床家は、それらを分類する必要があったのでしょうか。ない!
Goligherは彼の時代に、無意味なことをした、といえるのではないでしょうか。臨床家のゴリガーが犯した、名を残した汚点と私は、考えます。(ここでは、述べませんでしたが、現在の大腸肛門病学を学問にしたのは、実に、Goligherだったといわれており、私は、それに、賛成です。Goligherは偉大な、大腸肛門病学の父ともいえる外科医なのです。私は、オーストリアのグラーツという町で開かれた学会場で特別講演をするゴリガーを一度だけ見たことがあります。当時、すでに伝説の人に近く、多くの聴衆が会場からあふれるようにして話を聞いていました。))
しかし、分類とはまた不思議なもので、時代が下がると、無意味な分類が意味を持ってきたのです。新しい肛門の治療法が生まれ、それが、3度と4度では、成績が異なるかもしれないという、研究結果が出はじめているのです。つまり、選択される治療法が異なる可能性があるということです。詳しい話は、また、別の機会にしますが、臨床家Goligherの亡霊が、自分の仕事を、臨床家として意味のあるものに、強引に変えに来る、Goligherの凄みを、感じずに入られません。
ですから、学問は、意味のないものでも学ばなければならないのですね。時代が変わると、分類のための分類が、実は、そうではなかったということになる。しかし、その間30年かかっっているのだとしたら、その30年間は、やはり、そんな分類がなくても良かったのですね。ましてや、それが、30年間無意味に学生の進級試験に出るなどということは、やはり、「無意味」なのですね。
しかし、その無意味を意味あるものに変える人も、また、そんな試験に苦しめられた若い人であるかもしれないのですね。
追伸。実は、Goligher分類より以前の3つに分けた分類は、「マイルズ(Males)分類」といわれて、詳しい大腸肛門病の専門家なら知っている分類名です。Milesはやはり英国の外科医で、マイルズ手術という手術名で名を残しました。100年前に発表された手術ですが、現在でもその根本思想は変わりません。でも、病院の名前を取ってセントマークス分類と呼ばれることもあります。
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